生態学者、地球環境戦略研究機関国際生態学センター長、横浜国立大学名誉教授
宮脇 昭氏が提言してる防災林。
瓦礫(毒と分解不能なもの以外)を活用して、防潮林などを造る『いのちを守る森づくり』
宮脇氏は、実際に現地調査をし、去年から提言してたのに
大槌町で発生した瓦礫70万トンのうち、一年間で処理したのが2万トンだけ。
やっと4月末に岩手県大槌町で始まった↓
防潮堤の高さは約5m、長さ50m。
盛り土には、10トントラック約100台分の震災瓦礫を埋めて、3000本余りの広葉樹の苗木を植樹
10年後には10mの高さに成長し、命や財産を守る働きをする。
もっと早よしてたら、瓦礫拡散キャンペーンなんかする必要もなかったのに。
被災地の人は、「瓦礫」て言われる事がイヤやて言うてるやん。
生活してた財産、「被災財」て言うてる。
その一方で、「瓦礫を見るのは辛い」とか。
ほんで、「私たちの事を忘れないでほしい」て。
これ、矛盾してるやろ。
その大切な被災財を、見知らん土地で、反対派の意見を押し切ってまで
カネ目当ての首長らの独断で焼却されるねんで?
魂が宿ってるんなら、生まれ育った土地で、こんなふうに森をつくる事で供養になるやん。
亡くなった方々が使てた自転車とか、鉛筆とか、衣類とか、机とか、食器とか・・・
勿論、生きてる人々の生活の一部分も、もういっぱいあると思う。
その一つ一つは、もう二度と、お金でも買えん大切な想い出が詰まってるはず。
もしかしたら・・・誰にも見つけてもらえん遺体の一部も付着してるかもしれん。
復興のためとか言うてるけど、こんな復興が望みなんやろか?
瓦礫を見るのが辛いとか、悲しいとか
思い出したくない?
瓦礫が、単なる瓦礫でないんなら
想い出がいっぱい詰まった瓦礫なら、傍に置いときたいと思わんのかなあ?
心では忘れへんとは思うけど、人の心はいずれ薄れていく。
風化もしてしまう。
風化してしもたから、先人の言い伝えが守れんかったんちゃうかな。
先人が遺してくれたように、これから語り継ぐためにも
「心の中」だけと違て、「目に見える形」として、瓦礫は形あるものとして利用したほうがええと思う。
こう思うのは、人それぞれで、思い出す全てを目の前から遠ざけたいと思う人も
居てるかもしれんけど、少なくともうちは目に届く想い出、形ある想い出が愛おしい。
それが遺された人間にとって悲しい事でも辛い事でも
どんだけ寂しい事でも、大切な人が生きた証として、形として残したい。
瓦礫受け入れ賛成派は絆とかの感情論で訴えるなら
うちも、こういう感情論で訴えたい。
残念ながら、放射能は感情論では解決でけへんからな。
受け入れ表明してる自治体、賛成派の住民に共通してるのは
放射能の危険性よりも、感情論を優先してる事。
自治体はカネ目当てとしても、表面的に言うてる事は同じで
絆、支援、復興のため。
あとは、口蹄疫とか普賢岳とか、阪神淡路大震災で助けて貰ったからその恩返し
こういう感情的な言葉を使てる事が共通点。
被災者の避難の受け入れもしてるし、今後もしていくやろうし、
それに、義援金だけでも十分、恩返ししてると思うで?
ちなみに、今年2/24時点での東日本大震災で寄せられた義援金は、
総額3485億円。海外からは175億円超。
99.4%の3466億円が15都道県に送金され、
2857億円が各市町村を通じて被災者に配られてる(厚労省より)
義援金の配分は、各自治体によって決めてて、
岩手県の場合は、県独自の義援金を加算した上で、
世帯主に対し、死者・行方不明者一人につき152万円、
住宅は、全壊152万円、半壊92万円余りを支給済み。
これだけでも感謝に値するんやないやろか?
国内だけやなく、海外からも寄せられてるし、
お金だけやなくて、物資の提供もかなりある。
ボランティアも相当活動してるし
絆組は、食ってまで応援してるやん。
命は平等のはずやのに、こういう災害で亡くなられると義援金がある。
亡くなられた方も遺された方も何の罪もないけど
敢えて言わせてもらうと、
最近続いてる交通事故にしろ、今まで無差別殺人とか、色んな残酷な亡くなり方をしてても
義援金を募る事は殆どない。
自然災害で亡くなられた方は、恨む対象は自然。
ほかにあるとしたら、個々人で、あの時こうしてれば・・・とかの後悔やと思う。
けど、無惨に人間によって殺された方々のご遺族は、一生悲しみだけやなく
恨みまで背負って生きていく事になる。
誰かを恨んで生きていくのは、どれほど辛い事か。
話、逸れてるみたいやけど・・・
自然災害ならともかく、放射能は人為的による拡散。
被害を被れば、恨んで生きていく事になる。
どうか、誰かを恨んで生きていく人生にせんといて欲しい。
そして、何度でも伝えたい言葉
札幌市 上田文雄市長
『受け入れないと判断した事が後日歴史的に誤りだと評価されても、
市民の安全は守られ、私が批判されれば済みます。
受け入れて間違いだったと分かるときは、市民に被害が出ている。
私にはそれは耐え難いのです』
既に受け入れてる自治体、表明してる自治体の長は
歴史的にも、批判され続け、裁判沙汰になり、恨まれ続けるやろう。
けど、多分、上田市長と違て、そういう自治体の首長は
どれほど批判され、恨まれ続け、裁判になったとしても反省はせえへんやろう。
そして、市民に被害が出ても、何の痛みも感じる事はないやろうな。
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